送り火

8月 17 2011

昨晩は送り火でした。

当館屋上からも正大文字と右大文字が眺められますが、
昨晩は妙法の法を間近で見てまいりました。

灯火前から場所を確保して今か今かと待っておりますと、
山の中腹でサーチライトなどの光と共に代表の方のスピーカーを通した指示の声が聞こえてきます。
しばしその光景を眺めながら灯火の時間まで待っておりますと、
一番手に当たる正大文字が灯火される午後8時頃、二番手の妙法はそれまで位置などの確認や段取りの説明などで飛び交っていた声も静まり、
サーチライトなども全て消され、それまでのざわつきが嘘のようにシン・・・と静まりかえります。
そこからの10分間は思い出すだけで鳥肌が立つほどの粛々とした時間。

そして、灯火時間の午後8:10。代表の「点火」という叫び声と共に、
積み上げられた薪がスーッと炎を上げて法の字が山肌に浮かび上がり始めました。

私が見ている位置からはその薪の横にジッと立ち続ける人々の姿も目視できます。

その幽玄で厳かな様は、思わず手を合わせて先祖や死者の魂に合掌せずにはいられないほどの力を持っています。
やがて山を照らしていた炎は小さくなり闇の中に点々と灯りが確認できるほどになると代表の号令で一斉に炎は消え真っ暗な闇の中に戻っていきます。

京都に住んできて、送り火の意味がやっと分かった貴重な昨晩、
それは眺めて京の夏の風物詩を楽しむものではなく、
日本人の人生観に繋がる奥深い信仰の儀式の様相を纏い古くから守られ続けられてきたものでした。

コメントは受け付けていません。

Comments are closed at this time.